@article{ART000977528},
author={鄭 順 粉},
title={The Nature’s Poem of Sugawaranomichizane},
journal={Journal of Japanese Culture},
issn={1226-3605},
year={2005},
number={27},
pages={113-128}
TY - JOUR
AU - 鄭 順 粉
TI - The Nature’s Poem of Sugawaranomichizane
JO - Journal of Japanese Culture
PY - 2005
VL - null
IS - 27
PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak)
SP - 113
EP - 128
SN - 1226-3605
AB - 菅原道眞は八八六年、讚岐守に任ぜられ、實質的な左遷を經驗させられる。その讚岐において詠じられた詩が菅家文章卷三、四に收められているが、この讚岐時代の一五二首の作品は、不本意な地方官を左遷と意識したことから、失意を主な內容とし、寂廖孤愁の心が切々と表現されている。學儒にして詩人である道眞にふさわしい要職から、突然の讚岐への轉出はかなりの絶望感をおぼえさせたのであろう。
ところで、この讚岐守時代を、作者の心情表白の敍情詩としての面ではなく、作品世界の性格の面、つまり作者の志す方向から見ると、まったく異なる面が見える。詩創作という点から考えた場合、讚岐國への轉居は、作者を圍む環境、中でも詩の主要題材である自然環境が大きく變ったことになる。その自然が変った時、道眞の詩世界の性格がはたして變化したのか、を考える必要があろう。
道眞が讚岐國に轉居することになったのは、ある意味では宮中の限定的で類型化された自然から拔き出して、地方の新しい自然に接する機會を得たことになる。しかしながら、道眞は、讚岐の新鮮な自然には何らかの關心を持てず、もっぱらその心は京の宮中への思慕の念になってしまう。讚岐の自然は、獨立的に詠まれず、宮中の詩宴やそこに關わった人びと―天皇をはじめとして―を想起させる契機としてはたらき、都の人事へとつながっていくのである。道眞の詩において全体的に自然が自立せず人事の附屬物のような印象があるのも、そのためであろう。
結局、道眞の詩は、讚岐轉出という新しい局面を迎えても、自然を標榜する自然詩として發展せず、相変わらず感傷的な敍情詩として發展する面が見られる。道眞の詩の世界では、讚岐國と<京>との距離は隔てることなく、却って癒着․密着した形で表わされる。それは、道眞に諷諭詩があまり見られないこととも關連すると思われる。
KW -
DO -
UR -
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鄭 順 粉. (2005). The Nature’s Poem of Sugawaranomichizane. Journal of Japanese Culture, 27, 113-128.
鄭 順 粉. 2005, "The Nature’s Poem of Sugawaranomichizane", Journal of Japanese Culture, no.27, pp.113-128.
鄭 順 粉 "The Nature’s Poem of Sugawaranomichizane" Journal of Japanese Culture 27 pp.113-128 (2005) : 113.
鄭 順 粉. The Nature’s Poem of Sugawaranomichizane. 2005; 27 : 113-128.
鄭 順 粉. "The Nature’s Poem of Sugawaranomichizane" Journal of Japanese Culture no.27(2005) : 113-128.
鄭 順 粉. The Nature’s Poem of Sugawaranomichizane. Journal of Japanese Culture, 27, 113-128.
鄭 順 粉. The Nature’s Poem of Sugawaranomichizane. Journal of Japanese Culture. 2005; 27 113-128.
鄭 順 粉. The Nature’s Poem of Sugawaranomichizane. 2005; 27 : 113-128.
鄭 順 粉. "The Nature’s Poem of Sugawaranomichizane" Journal of Japanese Culture no.27(2005) : 113-128.