본문 바로가기
  • Home

『うつほ物語』における俊蔭の旅地-「唐土」と「知らぬ国」の使い分けを中心に-

Kim, Hyo Sook 1

1早稲田大学

Accredited

ABSTRACT

  『うつほ物語』は、一言でいえば、俊蔭一族の秘琴伝授と栄華の物語といえよう。この一族に類稀な栄達を齎した秘琴は、俊蔭の異国への辛苦の旅の末、持ち込まれたものであった。その異国への旅立ちは、遣唐使としての栄光のみならず、私的な不幸をも招来したものであった。俊蔭の異国への漂流をどう捉えるか、それは『うつほ物語』を理解する上で、欠くことのできない極めて重要な問題である。つまり、その旅が、一族に繁栄を齎した栄光のものだったのか、それとも悲劇だったのか。それを紐解くひとつの鍵として、まずその異国を指す名称の分析が必要である。というのも、物語は、俊蔭が流された異国を、「唐土」とも「知らぬ国」とも語っており、この呼び方を考察することが、物語の理解に繋がると考えるからである。  俊蔭の異国への漂流、それは、帝をはじめとした朝廷側からすると、選ばれた文人官僚に与えられる栄光であったが、俊蔭個人には父母との別れを強要される悲哀でもあり、また結果的には帰国後の不幸までも齎したものであった。物語には、その遣唐使をめぐった認識のズレや歪みが、「唐土」と「知らぬ国」という異る異国の呼称として表れている。「唐土」は宮中社会の一員として俊蔭に担わされた遣唐使という公的な立場から語られる異国というニュアンスが強い。一方、「知らぬ国」とは、俊蔭の経験したことのない見知らぬ国という意味とともに、遣唐使としての栄光のはずだった異国への旅が、実は宮中社会との繋がりがまったく見出させない場所であったという意味において、「朝廷の勢力の届かない国」でもあり、俊蔭の悲しみ、憂いの私的な感情が表出される表現であった。そして物語全体を通して、俊蔭の旅地が、公的世界を代表する天皇側からはあくまでも「唐土」と呼ばれ、俊蔭一族からは「知らぬ国」と語り続けられているところにこそ、天皇家と俊蔭一族の乖離・対立関係が読み解かれるのではないかと思う。

Citation status

* References for papers published after 2023 are currently being built.