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川上健三說의 虛實(一)

권오엽 1

1충남대학교

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ABSTRACT

韓国の独島支配を否定し、それが歴史地理的に日本の固有領土であるという主張は川上健三の『竹島の歴史地理的研究』に基づくが、同書は韓日両国の資料を幅広く引用しているにも関わらず資料の選択が便宜的であり、解釈が恣意的なので信頼を置けない。 竹島の渡海で繁盛を迎えた大谷家の古文書の情報を得てからは韓国に秘密を守るよう圧力さえもかけようとしたのが川上であった。外務省の官吏であった彼は独島(竹島)問題が韓日両国が尖鋭な問題であることをよく知っていたはずで、それに関する資料が見つかれば共有して円満な解決を図るべきであったのに、その程度の余裕をも持っていなっかたらしい。 彼は韓国の記録同士の差を根拠に全体を否定し、安龍福については当時の法を犯した点を強調するという方法で彼が陳述した内容ばかりでなく、その陳述を載せた記述まで否定する。それに反して日本側の記録は検証なしに信頼し、それを基準にして竹島の問題を定義する。韓国の諸記録が東海に鬱陵島と独島の二島が多様に呼称されながら存在するということを明記しているにも関わらず、それを否定して一島説を否定する。韓国の記録が鬱陵島のことに限られ、独島に当る島に関する記録がないということを根拠にする否定である。そして、朝鮮人は1904年以前は独島の存在すら知らなかったと断定し、その必要性によって、安龍福の独島認識をも誇張であり虚構であると断定した。  ところが、『高麗史地理志』『世宗實錄志』『新增東國輿地勝覽』などは東海にある二島が相見えるということを記録し、『新增東國輿地勝覽』の「八島総図」には于山島欝陵島が描かれており朝鮮がそれを認知していたことが分かる。勿論日本はこの内容も否定しているが、安龍福のみでなく大勢の朝鮮人がそれを認識してことを伝える『竹島紀事』という日本の記録がある。安龍福は対馬でムルグセム(欝陵島)へ鮑取りのために渡海したことを陳述した。これを根拠にして彼が松島(独島)の存在を知らなかったと川上は主張したが、完全な資料の歪曲であった。 対馬藩では欝陵島と磯竹島をブルンセミと称することも有ったようで、竹島を朝鮮ではブルンセミと呼ぶと聞くが、竹島と朝鮮語でブルンセミと発音するのか。欝陵島を朝鮮ではブルンセミと呼びはしないのか。欝陵島とブルンセミは同一なのか否かなどについて釜山の倭館に事実確認を求めた。朝鮮語通詞の中山は朝鮮人等から情報を集め答申した。 その答申は対馬が問い合わせたブルンセミがウルチントウとも呼ばれる欝陵島ではないということを明確に言って、ウルチントウの北東の方にかすかに見えるのがブルンセミであると整理した。欝陵島と独島の関係以外の説明とは考えられない。 またこれは釜山辺りの朝鮮人が東海に存在する二島をよく認識している当時の社会認識の反映であることを意味する。ムルグセムとブルンセミを武陵島と見做し、二つを欝陵島にする意見も有るが、「ブルンセミ之儀者ウルチントウより北東に当かすかに相見申由承候事」を離れた意見で成り立たない。

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