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中世に作り出された民族の祖檀君

박정의 1

1원광대학교

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ABSTRACT

『三国遺事』テキストに沿っていけば、一つの民族の根拠として壇君を民族の祖と語っていない。これは、中世全体の問題として考えなければならない。即ち、『三国史記』と『三国遺事』の「三国」を、そして『三国遺事』の壇君と同時代の『帝王韻紀』の檀君を、つまり中世の書を総合することによって主張されてきたといっても過言でない。それぞれ別個の古代史を互いに補完させることによて、そこに一つの民族の歴史を読んできたといえる。特に檀君に関しては、元々一つの檀君神話というものが存在し、それからいろいろな檀君神話が派生したことを前提とする一元的神話論に基づき、それらを合わせ本来の民族の祖としての檀君像を見出してきた。それは、中世につくられた檀君像である。 この根本は、『三国遺事』三国=『三国史記』三国とする三国、さらに『三国遺事』檀君=『帝王韻紀』檀君とする檀君である。但しこれは、時代的に逆から保障することによって可能である。つまり、『三国遺事』と『帝王韻紀』が、前代『三国史記』の一つの民族を保障するのである。  『帝王韻紀』の檀君は朝鮮半島の開国の祖である。『帝王韻紀』檀君=『三国遺事』檀君から、『三国遺事』の檀君も開国の祖となる。そして、『三国遺事』の「三国」から檀君は三国の祖となり、「三国」は一つの民族となる。ここで、『三国史記』と『三国遺事』の三国はともに朝鮮半島を示すため、『三国史記』の三国も一つの民族と解し、最古の史書『三国史記』からも一つの民族を読み取る。これから『三国史記』以前からも一つの民族であったことになり、中世に一つの民族が作られたことを否定することにもなる。史書が互いにその信憑性を保障し、『帝王韻紀』の檀君は『三国遺事』の檀君となり一つの民族観を成立させ、さらに檀君を語らない『三国史記』においても一つの民族として「三国」が成立するのである。  しかし、問題は、出発点である『帝王韻紀』と『三国遺事』の檀君が別個の神話だということである。『三国遺事』檀君=『帝王韻紀』檀君との出発点から論じた、檀君を民族の祖とする一つの民族は成立しなくなる。即ち、『三国遺事』檀君≠『帝王韻紀』檀君との出発点に立てば、『三国遺事』の檀君は民族の祖として成立しない。当然、檀君は三国の祖とならないので、三国は一つの民族と言えない。そして、『三国史記』から一つの民族は見られない。

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