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다다노 마쿠즈의 『獨考』에 나타난 서양지식

TaiHong Lim 1

1성균관대학교

Accredited

ABSTRACT

本稿は、只野真葛(1763-1825)の『独考(ひとりかんがえ)』(1817)の中に含まれている西洋知識に関して探ってみるものである。『独考』に見られる西洋に関する情報は、分量的には多くはないが、政治や経済の問題、社会の慣習や女性の問題など多方面にわたっている。幾つかに分けて、それを整理すれば次のようである。 第一、ロシアに関する内容が多い。 真葛の思想は、国学と蘭学の二つの交錯する地点にあると言われるが、本稿で考察した真葛の「蘭学」とは、厳密に言えば広い意味での「蘭学」である。彼女が『独考』の中で提示している「西洋の国」は、多くの場合、オランダではなくロシアであるからである。 第二、自分の主張を裏付けるような内容が中心である。 もともと『独考』という書物の性格がそうであるが、その本に含まれている西洋の知識は、西洋の「紹介」ではない。その情報の分量も少なく、全体としての体系性も欠如している。真葛自信が主張したかった思想の根拠として取り上げられている場合がほとんどである。しかし一応提示された内容は、その分、真葛の思想においてはたいへん重要な基礎になっていることは確かである。 第三、『赤蝦夷風説考』の内容とは重なっていない。 真葛の父親の著作である『赤蝦夷風説考』の内容は、ロシアに対する外交戦略的な性格が強い。彼によれば、「赤蝦夷」の人々が北海道や日本に人や船を送っているのは、通商の目的による可能性が高い。そこで日本は、この機会を利用し北海道を日本の直轄地として編入し、開発して行くべきであると主張していた。 真葛の西洋の知識、すなわちロシアに対する紹介はこうした『赤蝦夷風説考』の内容とは多少異なる。彼女は多くの場合、ロシア社会や西洋の「近代性」に注目していた。先進の西洋社会に、日本の制度や社会文化を対比させ、日本国を変革したいという立場を取っている。恐らくこうした「変革」態度は、19世紀の前半、大鹽中齋(1793-1837)、生田萬(1801-1837)、會澤正志齋(1781-1863)、平田篤胤(1776-1843)等が共通に有していた時代的な風潮からの影響であろう。しかしながら真葛が注目していた「社会」は、中国や日本の古代社会ではなく、「西洋」の社会であるということが異なる。福澤諭吉(1835-1901)が生まれたのは、彼女が死んでから10年も経ってからの年であったという事実からも、彼女の思想の先進性が読み取れる。

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