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『蜻蛉日記』和歌の一面 ―章明親王との贈答歌を中心にして―

SOONBOON CHEONG 1

1배재대학교

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ABSTRACT

『蜻蛉日記』には、二六一首の和歌(長歌三首、連歌二組を含む)が記されているが、上巻には一二六首が数えられ、中巻の五五首と下巻の八十首を圧倒的に上回る。和歌が上巻の中で如何なる役割を果たしているか、を見なければならないのだが、特に章明親王との贈答歌群は、ちょうど天徳二年七月から応和二年にかけての三年半の空白の直後に配置されており、日記創作において作者の和歌への特別な意気込みを感じさせるものとして注目される。  当該の贈答歌の場面は、和歌の多様な技巧の試みと、散文と和歌の新しい絡み合いを見せるものであった。具体的には、催馬歌「夏引」を下敷にして仮想の恋歌の世界を作り上げたり、「ながめ」や「世」などの当時女性論理の中で多用されていた歌語を技巧化したり、歌の主体をすり替えることによって緊張感を高めたり、また散文によってあらかじめ和歌を予見させたりする。  日記に記された和歌は、作者の手元にあった歌稿によったとしても、その当時に詠まれたものが、作者の回想の時間を経て、執筆時の作者の意識によって再構成されたものであることは言うまでもない。作者は、体験の時の和歌を、執筆時の意識によって散文とともに再構成したのである。それは単に散文部分を付け足すだけのものではなく、散文では表現し得ないものを表現する和歌を散文の中に取り込んでいく過程で、身の上を書くという道綱母の主題意識を実現させるようになったのではないかと考えられる。『古今集』などの和歌を共通の教養の基盤としながら、兼家(道綱母)と章明親王の間で繰り広げられた和歌の贈答は、和歌が散文との関係によって意味付けられる様子をよく示している。和歌はそれをめぐる散文との関係の中で読み直されるので、作者は和歌と散文の新しい組み合いを様々なかたちで試して見せようとしたのであり、それによって日記の内的論理を構築していったものと見られる。

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