@article{ART001447838},
author={Shim SooKyung},
title={「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ― },
journal={Journal of Japanese Culture},
issn={1226-3605},
year={2010},
number={45},
pages={213-230},
doi={10.21481/jbunka..45.201005.213}
TY - JOUR
AU - Shim SooKyung
TI - 「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ―
JO - Journal of Japanese Culture
PY - 2010
VL - null
IS - 45
PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak)
SP - 213
EP - 230
SN - 1226-3605
AB - 大江健三郎はしばしば作品に父親の実体を追う内容を描く。『父よ、あなたはどこへ行くのか?(以下『父よ』)』、『みずから我が涙をぬぐいたまう日(以下『みずから』)もその系譜に属する作品である。ところで、其々1969年と1971年に発表されたこの二つの作品には主人公の男性によって「父」の「伝記」(『父よ』)と「同時代史」(『みずから』)が書かれているという共通点がある。 さて、この二つの作品の間には1970年11月の三島由起夫の自殺という出来事が存在する。 本論文では、『父よ』において作品の動力になっている「狂気」を「僕」をはじめとする登場人物の狂気の実体などについて分析し、又、1970年に起きた三島由起夫の割腹自殺事件を介している『父よ』と『みずから』における「伝記」と「同時代史」について考察した。 『父よ』においての母親の「狂気」は「僕」の追究する「父」の自己幽閉と死に関わる「本当のこと」を狂人ぶってまで徹底的に隠蔽し真実究明のためのすべての道を遮断しようとする行動そのものであり、「僕」の「狂気」は母親同然、父親の自己幽閉の理由と死に関する「本当のこと」を執拗までに追究する行動なのである。「僕」のこの「狂気」の底には、遺伝の呪縛とそこから自由になりたいという願望が潜んでいるわけである。「父」の「狂気」は「***蹶起」の後「天皇」を殺害するしかないという恐ろしい考え付き、すなわち、<不敬>の可能性と繋がっている。 なお、「僕」が書いている「父」の「伝記」は「僕」をはじめ、祖母や兄たちの記憶によるものであり、なにが「本当のこと」であるかは分からない。しかし、「ものを考えるとは、もの自体によって考えるのではなく、言葉によってものを考えるのだ」と認識している「僕」にとって、其々の証言そのものが「父」の復元の過程なわけである。とはいえ、この方法によっては無数な可能性が現れこそすれ、「本当のこと」の究明までには至らない。言葉だけが一人歩きする可能性がある。言葉によって復元されるが、真実が分からない状況、それはカオスの世界で、神話以前の世界であり、ゼロの領域である。「父」はゼロの領域であることを意味し、起源としての「父」は起源としての「天皇」と重なる。作品の終盤において母親によって「父」の自己幽閉と死に関する真実が明かされ、「僕」は「父」に関わるすべての記録を焼却してしまう場面は、「僕」の「狂気」の消滅と遺伝の呪縛から自由になることを意味する。それによって「父」の「伝記」も「僕」の物語として語り始められるのである。 『みずから』における「同時代史」は肝臓癌に犯されている男が「遺言代執行人」を通して記録している。その内容は「かれ」の「happy days」の記録であるが,「happy days」とは1945年夏のある日、父親と共にした記憶のことである。『父よ』と『みずから』は主人公の男性が共に父の伝記を記録する共通点を持っているが、『父よ』における「伝記」は「僕」が「父」の「狂気」から逃れようとする願望によって記録される。父親の死の真実が明かされた時、父に関する記録を焼却してしまうことからもよく分かる。それに対し『みずから』における「同時代史」はもう一度あの日の経験、すなわち、父親との一体感を夢見る男の物語である。「同時代史」は父との一体感への希求の表現である。また、「同時代史」は主人公一個人の特定の時間と範囲を越え、民族共同体の体験として記録しようとする点において「伝記」とは差が生じる。 最後に、この二つの作品には父親と対立する母親が登場し主人公が執筆する父の伝記を妨害する。大江の作品にはたびたび父と対立する母が描かれており、これに関しても研究していかなければならないが、この問題に関しては今後論議したい。
KW -
DO - 10.21481/jbunka..45.201005.213
ER -
Shim SooKyung. (2010). 「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ― . Journal of Japanese Culture, 45, 213-230.
Shim SooKyung. 2010, "「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ― ", Journal of Japanese Culture, no.45, pp.213-230. Available from: doi:10.21481/jbunka..45.201005.213
Shim SooKyung "「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ― " Journal of Japanese Culture 45 pp.213-230 (2010) : 213.
Shim SooKyung. 「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ― . 2010; 45 : 213-230. Available from: doi:10.21481/jbunka..45.201005.213
Shim SooKyung. "「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ― " Journal of Japanese Culture no.45(2010) : 213-230.doi: 10.21481/jbunka..45.201005.213
Shim SooKyung. 「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ― . Journal of Japanese Culture, 45, 213-230. doi: 10.21481/jbunka..45.201005.213
Shim SooKyung. 「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ― . Journal of Japanese Culture. 2010; 45 213-230. doi: 10.21481/jbunka..45.201005.213
Shim SooKyung. 「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ― . 2010; 45 : 213-230. Available from: doi:10.21481/jbunka..45.201005.213
Shim SooKyung. "「광기」-아버지의 구축과 해체― 오에 겐자부로『아버지여, 당신은 어디로 가십니까?』를 중심으로 ― " Journal of Japanese Culture no.45(2010) : 213-230.doi: 10.21481/jbunka..45.201005.213