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中世紀行文芸と歌枕 ―宇津の山を中心にー

이영경 1

1한양여자대학

Accredited

ABSTRACT

宇津の山は、始めて『伊勢物語』の「東下り」に取り上げられ、実情としての「望郷」の思いの表出が、「いと暗う細き」道、「つたかえで」、「修行者」というモチーフにより記述され、文末の「うつつ・夢」の歌に集約される。これが『伊勢物語』の宇津の山の記述の特質であり、後世の宇津の山の表現の原型となる。 それから二百年後、『俊成五社百首』と『六百番歌合』でそれぞれ「宇津の山べの蔦」と「蔦」の題で詠まれた後、『新古今和歌集』に四首も入集されることによって歌枕として定着する。そして、宇津の山は「蔦」という風物と『伊勢物語』の面影のイメージとが固定化されるが、以後、風、秋、春という季節感と自然風物が加えられ、多様なモチーフの工夫により、より情調深いイメージの広がりを持つようになる。このような『伊勢物語』と和歌の世界の宇津の山の表現は、東海道を辿る中世紀行文においても叙述される。『海道記』において宇津の山は、難所というモチーフを取り入れ、山の外観とその山を越える本人の身体的な事柄を、対句・縁語・反復などの表現方法を通して独自的に記述する。『東関紀行』は『伊勢物語』の跡を確認した後、「卒塔婆」「塚」「墓」のように新しい跡にも注目し、伝統と現実とを重ねて語ってゆく。これに対し『十六夜日記』は、『伊勢物語』の世界と自身の体験とが重なったことに驚嘆し、敘述においても和歌の伝統的なイメージや表現世界に回帰する趣向である。 以上のことから、特に『海道記』の宇津の山の表現は、『東関紀行』と『十六夜日記』とは異なり、伝統的な和歌の表現世界とはかけ離れた表現の特質が見られるのである。それは、『海道記』の支えられる社会的·文化的ネットワークや、リテラシー、イデオロギなどが、和歌という伝統とは異なるところにあったのではないかと思われる。これに関しては、今後の課題にしたい。

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