@article{ART001478547},
author={Im, Sung-Gyu},
title={藤村におけるキリスト教の意義 },
journal={Journal of Japanese Culture},
issn={1226-3605},
year={2010},
number={46},
pages={343-362},
doi={10.21481/jbunka..46.201008.343}
TY - JOUR
AU - Im, Sung-Gyu
TI - 藤村におけるキリスト教の意義
JO - Journal of Japanese Culture
PY - 2010
VL - null
IS - 46
PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak)
SP - 343
EP - 362
SN - 1226-3605
AB - 作家藤村の明治期におけるキリスト教の影響と、キリスト教への接近と離反を通して、藤村の苦悩・葛藤の文学的意味を各作品に即して明らかにする。西洋近代思潮・ルネッサンスとしてのキリスト教の受容、近代精神による自我の目覚めは、古い道徳・価値観に支配されている社会との衝突を呼ぶ。藤村が近代精神と古い道徳・価値観とどういう対決をしたかを明らかにしていきたい。藤村が積極的に父を思い出したのは、「いきながらの地獄」からぬけだしたフランスの旅からである。藤村は〈新生事件〉によるフランスへの旅を単なる脱出行ではなく、求道者としての贖罪の旅と思い、自己の再生の転機をひたすら求めていた。第一次世界大戦のただなかに、祖国と民族のために戦死したフランス人に愛国心を見、戦後のパリの復旧を目のあたりにする。そこから再生、死の中から持ち来す回生の力を感じたのである。回生の力は「新生」への道へ導くことになるが、同時に、生の肯定は、日本への回帰をも導く。新たに日本を顧みる機会を得たことになる。つまり第一次世界大戦を経て、戦後のパリの復旧という目覚ましい動きの中でフランスの「傳統の回復」を目のあたりにしたことが、「傳統の回復」への新たなる自覚は、彼を日本の民族や伝統へ目を注がせることになる。
KW -
DO - 10.21481/jbunka..46.201008.343
ER -
Im, Sung-Gyu. (2010). 藤村におけるキリスト教の意義 . Journal of Japanese Culture, 46, 343-362.
Im, Sung-Gyu. 2010, "藤村におけるキリスト教の意義 ", Journal of Japanese Culture, no.46, pp.343-362. Available from: doi:10.21481/jbunka..46.201008.343
Im, Sung-Gyu "藤村におけるキリスト教の意義 " Journal of Japanese Culture 46 pp.343-362 (2010) : 343.
Im, Sung-Gyu. 藤村におけるキリスト教の意義 . 2010; 46 : 343-362. Available from: doi:10.21481/jbunka..46.201008.343
Im, Sung-Gyu. "藤村におけるキリスト教の意義 " Journal of Japanese Culture no.46(2010) : 343-362.doi: 10.21481/jbunka..46.201008.343
Im, Sung-Gyu. 藤村におけるキリスト教の意義 . Journal of Japanese Culture, 46, 343-362. doi: 10.21481/jbunka..46.201008.343
Im, Sung-Gyu. 藤村におけるキリスト教の意義 . Journal of Japanese Culture. 2010; 46 343-362. doi: 10.21481/jbunka..46.201008.343
Im, Sung-Gyu. 藤村におけるキリスト教の意義 . 2010; 46 : 343-362. Available from: doi:10.21481/jbunka..46.201008.343
Im, Sung-Gyu. "藤村におけるキリスト教の意義 " Journal of Japanese Culture no.46(2010) : 343-362.doi: 10.21481/jbunka..46.201008.343