@article{ART001478553},
author={Chaesu Kim},
title={실크로드와 고원(高原) },
journal={Journal of Japanese Culture},
issn={1226-3605},
year={2010},
number={46},
pages={363-390},
doi={10.21481/jbunka..46.201008.363}
TY - JOUR
AU - Chaesu Kim
TI - 실크로드와 고원(高原)
JO - Journal of Japanese Culture
PY - 2010
VL - null
IS - 46
PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak)
SP - 363
EP - 390
SN - 1226-3605
AB - まず論者はシルクロードの三つの幹線の成立時期とその地理的位置を検討した。既存のシルクロード学者たちは中央のオアシス路の成立時期を古代末期と見なし、北方の草原路と南方の海路を旧石器時代のものと判断した。だが、論者はオアシス路も北方と南方のルートと同じ時期に成立したという立場を提示した。論者はシルクロードの基礎とされる中央オアシス路の地理的位置を把握した。その結果、論者はそのルートが古代末以前の青銅器時代と鉄器時代には各地域の高原をつなぐ道に基づいて成立したという立場をとることになった。 また論者は東西の高原路に関し、約20年以上論議の対象になってきた四川省成都付近の三星堆から出土された青銅器の遺物がどのような集団によって作られたのかを考察した。その結果、それらが東西高原路を通じて西南地域に伝わった西アジアの青銅器文化を背景として出現したものだという立場をとった。そして本稿では高原路と関連し、古代中国の民族と文化がどのように形成されてきたのかについて考察した。古代中国の民族と文化は西アジア人とかれらの文化が中央アジアのパミール高原からチベット高原の北または南ルートを通じて中原地域と四川地域へ流入してゆく過程でチベット、中原、四川等の地域の土着人とその地域の土着文化と融合し、形成されたものと思われる。 最後に中国の民族と文化の基礎を形成した中国人の言語に関し、論者は次のような立場を提示している。現在、漢族と対立する「少数民族」の大多数はSOV型の言語を使い、漢族はSVO型の言語を使っている。この事実から、華夏族と夷族との区別は西アジアからのSVO型の言語を駆使する民族がSOV型の言語が駆使されるチベットの着き、中原地域へと進出してゆく過程で行われたという立場をとることができるのである。
KW -
DO - 10.21481/jbunka..46.201008.363
ER -
Chaesu Kim. (2010). 실크로드와 고원(高原) . Journal of Japanese Culture, 46, 363-390.
Chaesu Kim. 2010, "실크로드와 고원(高原) ", Journal of Japanese Culture, no.46, pp.363-390. Available from: doi:10.21481/jbunka..46.201008.363
Chaesu Kim "실크로드와 고원(高原) " Journal of Japanese Culture 46 pp.363-390 (2010) : 363.
Chaesu Kim. 실크로드와 고원(高原) . 2010; 46 : 363-390. Available from: doi:10.21481/jbunka..46.201008.363
Chaesu Kim. "실크로드와 고원(高原) " Journal of Japanese Culture no.46(2010) : 363-390.doi: 10.21481/jbunka..46.201008.363
Chaesu Kim. 실크로드와 고원(高原) . Journal of Japanese Culture, 46, 363-390. doi: 10.21481/jbunka..46.201008.363
Chaesu Kim. 실크로드와 고원(高原) . Journal of Japanese Culture. 2010; 46 363-390. doi: 10.21481/jbunka..46.201008.363
Chaesu Kim. 실크로드와 고원(高原) . 2010; 46 : 363-390. Available from: doi:10.21481/jbunka..46.201008.363
Chaesu Kim. "실크로드와 고원(高原) " Journal of Japanese Culture no.46(2010) : 363-390.doi: 10.21481/jbunka..46.201008.363