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식민지 조선에서의 도평의회의 정치적 전개 -김기정 징토(懲討) 시민대회를 중심으로-

KIM,DONG-MYUNG 1

1국민대학교

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ABSTRACT

本研究の目的は、1927年慶尙南道統營で起きた「金淇正懲討市民大會」を中心に日本帝國主義の支配下植民地朝鮮において展開された道評議會の歴史的性格の一端を明らかにすることにある。金淇正懲討市民大會は、当時道評議會員であった金淇正が朝鮮人の民族的立場を無視する発言と行動をすると、一般朝鮮人たちが彼を懲討するために公職辞退などを求めて行った抗議示威である。金淇正が市民たちの要求を拒否し、市民大會の勢力が拡大することを恐れた当局が金淇正を擁護し市民大會の活動を弾圧すると、それに反発して大規模の示威に発展した。これに当局は更なる示威の拡散を防ぐために市民大會の幹部らを拘束し金淇正の公職辞退を受理し、拘束者に実刑を言い渡すことにより事件は片付けられた。 このような金淇正懲討市民大會の一連の過程は、道知事の諮問機関である道評議會に参加した朝鮮人議員が一方的に協力することができなかったことをよく示している。すなわち、日本帝国主義の支配下植民地朝鮮での道評議會の政治的展開は、道評議會員が支配当局と朝鮮社会を間におき媒介的位置において行われた。道評議會員は地域住民の支持を得てより多くの政治的影響力を確保するために支配権力との葛藤と対立も敢行しなければならなかった。また、支配当局との信用をもとに朝鮮人の要求を貫徹させるために彼らとの協力と協調も必要であった。朝鮮に対する植民地支配を永久に続こうとする日本帝国主義を相手に、特に抵抗意識の強い朝鮮社会において行われた朝鮮人道評議會員の綱渡りは決して易しい曲芸ではなかった.

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