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金嬉老事件と<反共> ―映画「金の戦争」論―

임상민 1

1한남대학교

Accredited

ABSTRACT

金嬉老事件は1968年2月20日、在日コリアン金嬉老が借金返済のもつれから静岡県清水市において暴力団員2名をライフル銃で射殺した後、寸又峽温泉のふじみ屋旅館に経営者と宿泊客合わせて13名を人質に立て籠り、射殺した暴力団⋅曾我の悪行を公表することと小泉刑事による在日コリアンへの蔑視発言についての謝罪を要求した事件である。同事件は彼のストレートな発言故に、差別と被差別という枠組みで理解されやすかった。しかし、1992年に公開された映画「金の戦争」を事件当時の外交文書と裁判の同時期に展開されていた国籍書換え問題とを照らし合わせながら考察してみると、今まで金嬉老裁判に直接介入してなかったかのように思われてきた韓国政府は、総連を牽制するために獄中結婚の相手である金文子の訪日を許可したり、日本の金嬉老公判対策委員会を<左翼>と見なし、韓国の金嬉老救出署名推進委員会の渡日をストップさせたり、ましてや作家の金達寿を総連の警戒人物として見なすだけでなく、在日コリアンを民団と総連とにくっきりと線引きし、韓日両国の「友好増進」の妨げとなる要素を事前に除外しようとした点などから、同裁判に対する韓国政府の立場は在日コリアンの境遇よりは<反共><反左翼>を優先する立場だったことが明らかになった。そして、映画の製作陣は同事件を反日感情をあおるようなものではなく「世界に通用する人権問題」を考えたかったとしながらも、殺人そのものを曾我から房子を引き抜くための「愛」物語へと文脈を練り直すことにより正当化させたり、民団本部長の李裕天を映像からカットし、普段親密な関係にあった「金融業者」の趙澔衍を民団の幹部へと設定を変更⋅焦点化することにより、金嬉老と民団との間にあった対立関係を忘却させたりするなど、当時の<反共>と在日コリアンとの関係を考える手がかりを映像から削除したのである。映画「金の戦争」を<韓国人>というポジションを意識しつつ批判的に読み解くことは、当時の韓国政府だけでなく、今のわれわれ韓国人の内面に潜む<反共>が在日コリアン理解にどういう作用をしているかについて考えることであり、そういう意味でそれは今日の問題とも言えるのである。

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