@article{ART001640567},
author={정장식},
title={「武士道」뒤집어 보기(其三)},
journal={Journal of Japanese Culture},
issn={1226-3605},
year={2012},
number={52},
pages={415-432},
doi={10.21481/jbunka..52.201202.415}
TY - JOUR
AU - 정장식
TI - 「武士道」뒤집어 보기(其三)
JO - Journal of Japanese Culture
PY - 2012
VL - null
IS - 52
PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak)
SP - 415
EP - 432
SN - 1226-3605
AB - 武士(武士道)のイメージは誇張され、その実体も歪曲された。このように赤穂浪人の仇討ちも美化されて『忠臣藏』で伝われたが、浪人が「忠義の義士」に変わる過程で武士の復讐には誇張と歪曲が加えられた。殉死を意味する「追腹」,「義腹」,「論腹」までは良かったが、子孫が受ける恩恵を計算した「商腹」まで出て、殉死の意味は変った。『阿部一族』も、殉死をめぐって起きた武士の名誉と葛藤であった。乃木将軍の殉死は、中世の侍を志向した明治の侍が、過分な名誉に悩んだ挙げ句、殉死で不名誉を払い除ける道を探し出したのではないだろうか。 德川幕府は武士の暴力を制限したが、武士の名誉に関わる仇討ちは禁じられなかった。時代の流れで武士の存在は薄れたが、武士の名誉文化は命脈を保った。武士の仇討ちは人間本性を刺激し、劇的な要素があったので、赤穂浪人の仇討ちは美化されて人々のロマンとして残った。中世の切腹は名誉を守る勇名の誇示だったが、徳川時代には武士の死刑になり、これも変って首切りの変形になった。後には、「扇子腹」という首切りの変形も切腹と認めるようになった。組織の中で毀損されやすい武士の名誉を守って来た殉死、復讐、切腹は、武士の暴力の華やかな花火のように認識されたが、その裏は伝統の原形から変化を辿って来た。
KW -
DO - 10.21481/jbunka..52.201202.415
ER -
정장식. (2012). 「武士道」뒤집어 보기(其三). Journal of Japanese Culture, 52, 415-432.
정장식. 2012, "「武士道」뒤집어 보기(其三)", Journal of Japanese Culture, no.52, pp.415-432. Available from: doi:10.21481/jbunka..52.201202.415
정장식 "「武士道」뒤집어 보기(其三)" Journal of Japanese Culture 52 pp.415-432 (2012) : 415.
정장식. 「武士道」뒤집어 보기(其三). 2012; 52 : 415-432. Available from: doi:10.21481/jbunka..52.201202.415
정장식. "「武士道」뒤집어 보기(其三)" Journal of Japanese Culture no.52(2012) : 415-432.doi: 10.21481/jbunka..52.201202.415
정장식. 「武士道」뒤집어 보기(其三). Journal of Japanese Culture, 52, 415-432. doi: 10.21481/jbunka..52.201202.415
정장식. 「武士道」뒤집어 보기(其三). Journal of Japanese Culture. 2012; 52 415-432. doi: 10.21481/jbunka..52.201202.415
정장식. 「武士道」뒤집어 보기(其三). 2012; 52 : 415-432. Available from: doi:10.21481/jbunka..52.201202.415
정장식. "「武士道」뒤집어 보기(其三)" Journal of Japanese Culture no.52(2012) : 415-432.doi: 10.21481/jbunka..52.201202.415