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帰化する女優⋅李礼仙 - 唐十郎『新⋅二都物語』論 -

Lim sang min 1

1한남대학교

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ABSTRACT

唐十郎の『新⋅二都物語』が書かれ上演された1980年前後は、日本では国際人権規約と難民条約に加盟すると同時に在日コリアンをはじめ、日本に在留する外国人の処遇が少しずつ改善されていく時期である。しかし、それと同時に、在日コリアン内部では「第三の道」論争が典型的なように、1980年を前後にして在日2⋅3世が「八〇%」を占めることになり、その生き方をめぐって激しい議論が展開されていた時期でもあった。 李礼仙は1975年に日本に帰化している。しかし、帰化はしているものの自分は日本にもそして韓国にも違和感を感じており、帰属感を持たないと語る。そう考えれば、李礼仙は日韓に引き裂かれた主体であると同時に、同時代の「第三の道」論争の中でもどこにも属さない引き裂かれた主体だった。そして、こうした李礼仙のために書かれ上演されたのが『新⋅二都物語』である。 戯曲の中のリーラン(李礼仙)は自分の「身元」を保証してもらうために「日本名」(いわゆる帰化)を手に入れようとする。そして、その時、「身元」を保証してくれる日本人として召還されたのは他でもなく戦前は「作戦の神様」と呼ばれ、戦後はラオスで行方不明となった辻政信だった。しかし、戯曲はリーランが辻政信から日本名が記入されている「国民健康保険」を取上げた瞬間、急転回を見せる。つまり、それまでに戯曲の中で肯定的に描かれてきた辻政信を反転するかの如く、「身元」を保証してくれるはずの国民健康保険をいとも簡単に他人に売ってしまったのである。こうしたリーランの反転を同時代の在日コリアンをめぐるさまざまな社会保障の文脈から考えてみれば、国際人権規約と難民条約に加盟するなど、表面的には日本人と同等な社会保障を認めるかのような構えを取りながら、運用上では在日コリアンを排除していく戦後日本の暴力的な在り方を逆説的に表現したとも言えるのである。そして、帰化することによりアイデンティティが変容されないことを逆説的に描くことによって、戦後日本の植民地時代の責任問題と国籍を基準に排除させていく在日コリアンをめぐるさまざまな社会保障のカラクリを切開してみせたのである。

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