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단절된 일본문학연구의 계보- 『만엽집(万葉集)』을 중심으로 -

Park Sanghyun 1

1경희사이버대학교

Accredited

ABSTRACT

2011年3月11日に發生した「東日本大震災」とそれによる津波の被害は甚だ大きかった。そして、その影響は日本だけにとどまらず、隣の國韓國にも及んだ。韓國での日本語敎育の現場を直擊してしまったのである。すなわち、日本語學校での受講生が急激に減り、それと同時に、大學では日本語や日本文學及び日本文化に關する授業の閉講が相次いだ。一言で言えば、韓國での日本語敎育を含めた日本學敎育は、今大きな危機に直面していると言えよう。 韓國での日本學敎育があまりにも急激に危機に落ちてしまったことは、實は韓國での日本學敎育の「体力」がよくなかったことを示してくれる。まさにこの時、韓國での近代學問としての日本學の系譜をたどってみることは、「大轉換期」を乘り越える一つの實踐になるであろう。よって、私は本稿ではまず、日本學硏究の中で韓國での日本文學硏究の系譜を『万葉集』硏究史の檢討を通して具体的に考察してみた。敎育と硏究は密接にかかわっているからである。その結果は以下の通りだ。まず、韓國での近代アカデミズムとしての日本文學硏究の系譜は、多くの日本文學硏究者の考えとは異なり、終戰(=光復)後開設された韓國外國語大學の日本語科と國際大學の日語日文科(=主に日本語と日本文學を敎える學科)から始まったのではなかった。植民地時代(=日帝强占期)の京城帝國大學「國文學」(=日本文學)講座から始まったのである。つぎに、韓國での日本文學硏究の系譜が植民地時代の京城帝國大學「國文學」(=日本文學)講座から始まったということが意味していることは次のようである。京城帝國大學の法文學部に設置された朝鮮文學(=韓國文學)講座、支那文學(=中國文學)講座、外國文學(=英文學)講座で行われた硏究成果は、終戰後ソウル大學をはじめ、主な大學で綿綿と續いた。言い換えれば、韓國文學硏究、中國文學硏究、英文學硏究の學的系譜は自然につながったものの、「國文學」(=日本文學)硏究の系譜は終戰とともに「斷絶」され、私たちの記憶から消えてしまった。つまり、植民地時代の日本文學に關する學問的「蓄積」を生かすことができなかったのである。「斷絶された日本文學硏究の系譜」、それが韓國での日本文學硏究の大きな特徵であった。そして、その特徵が敎育の現場にも影響を及ぼし、日本學硏究の「体力」を弱くした一原因になったと考えられる。

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This paper was written with support from the National Research Foundation of Korea.