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「어느 연애소설(或恋愛小説)」에 관한 일고찰 -여성독자를 포섭하는 서술자를 중심으로-

  • 日本硏究
  • 2009, (27), pp.183-205
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : August 20, 2009

Minhee Lee 1

1고려대학교

Candidate

ABSTRACT

以上、本論文では「或恋愛小説」の語り手が1920年代当時の〈マンモス雑誌〉で あった女性誌『婦人クラブ』の女性読者にして登場人物である保吉の意見に同調す るように仕向けたり、テキストの問題意識を彼女たちと共有しようとしたりする姿 勢を取っていることを考察した。この過程で保吉が問題にしていることが現実の中 での女性とあまりにも掛け離れている'この頃'の恋愛小説の女主人公の有り様で あり、テキストが1920年代日本文学界の問題点をそのまま具現していることを も確認出来た。この点に置いて「或恋愛小説」は現実反映率が高いテキストである と云えよう。 1920年代日本で「或恋愛小説」のような女性読者を包摂する語り手が出現したの は'広大な新植民地の発見'に準える文学作品の購買者としての女性読者が登場し たからである。彼女たちは文学のジャンルの価値まで再評価させる存在になり、メ ディアのターゲットであったものの、文芸雑誌に載せれば純文学、女性誌の載せれ ば大衆文学(通俗小説)という二分法的思考が形成せれる要因として作用した。 一方、1920年代の文学批評と文学論争は'知識人の知識人のための文学'から' 知識人の一般人のための文学'へと移行する過程で突出したことであるが、これは 当時の大衆読者のかなり多い数を占めていた女性読者を勘案すると、文学担当者た ち(作家、批評家など)の視線が文学の周辺部にあった女性読者に向け始めたこと を表している。従って女性読者を包摂する「或恋愛小説」もこのようなコンテキス トから捉えるべきであろう。 確か芥川龍之介はエリート意識が強い作家であって、彼の意識の中で女性読者が 何れほど占めていったかは分かりがたい。しかしながら生身の作家がそれを自覚し たか否かは別として、「或恋愛小説」の語り手は文学の周辺部にあった女性読者を 文学の場に抱き込む機能を果たしている。これは当時の女性読者の構成がインテリ ゲンチャのみならず、教育の網で濾せない読者,特に女性労働者もかなり含まれて いったことを考える上で、その意義するところが大きいと云えよう。

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