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A Poetical Waves of Inverse Translation-Some Thoughts on Chu Yo-han's Chosenkakyokusyu

  • 日本硏究
  • 2011, (30), pp.253-272
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : February 20, 2011

양동국 1

1상명대학교

Accredited

ABSTRACT

一九一九年新年号の『現代詩歌』に発表した「朝鮮歌曲鈔」は、留学生詩人である朱耀翰の作品の中で異彩を放っているものとして、韓国の伝統的な詩歌である時調を紹介する意図で、七首が訳されている。西欧指向を標榜した『現代詩歌』の同人としての耀翰もその理念に忠実な人であったことは論をまたない。そのような彼が最も西欧偏向的だった詩雑誌に、しかも奪われた祖国の伝統詩歌を翻訳したのである。本論文は耀翰が亡国の伝統詩歌を紹介した裏面に果たしてどのような動機や目的があったのか、そして逆翻訳の行為と自国文化との関わりについて考察してみた。さらに翻訳は政治・文化的な位階秩序および権力を反映する決定物という視角に基づいて訳者としての耀翰の抵抗する姿も推察してみた。とりわけ、「朝鮮歌曲鈔」の冒頭で、時調の韻律について「もとより調子本意だから音数の制限はさほど嚴密でない。たゞ如何なる程度に於て變格を許すかは朗詠上のデリケートな問題であるらしい。」と語った部分は、充分とはいえないものの、音数律以外の時調の韻律について言及したものとして特記すべき事である。目標言語である日本語に時調を翻訳する中で、現在にも議論が続けられている時調の起源と韻律の問題について具体的な片鱗を示したことは、逆翻訳の内面には自文化への洞察と鋭い自覚の目が深く関わっていることを断面的に物語っている。さらに逆翻訳の行為には自国文化の方向性とも関わるという一例を耀翰の時調の翻訳と金永郎の純粋詩との影響関係において考察することができた。朱耀翰の「朝鮮歌曲鈔」の中になされた翻訳行為とその余波は伝統と近代との連続性を強調する<使える過去>が近代という最近の議論に合致する一例でもある。

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