@article{ART001345998},
author={kim nakyung},
title={太宰治の「女生徒」考 },
journal={Journal of Japanese Culture},
issn={1226-3605},
year={2009},
number={41},
pages={81-96},
doi={10.21481/jbunka..41.200905.81}
TY - JOUR
AU - kim nakyung
TI - 太宰治の「女生徒」考
JO - Journal of Japanese Culture
PY - 2009
VL - null
IS - 41
PB - The Japanese Culture Association Of Korea (Jcak)
SP - 81
EP - 96
SN - 1226-3605
AB - 本論は、太宰の純粋な創作によって、書かれたと知られている作品を有明の日記公開を通じ、新しく見直した論説であった。照合したところ、太宰はほぼ有明の日記を材料にし、書き写していたが、6つのエピソードを書き加え、作品を完成していた。特に、《ロココ料理》が自慢の料理であり、《幸福は一生、来ないのだ》と思いつつ、何かを待っていた女学生を書いていた。また、有明の社会意識は避けて、何か不安でたまらない彼女を描いていた。これを戦争と一緒に考えてみた。全てが従属されていた中で、いくら画一化させられても、精神まではなんとかできないという気持ちで《ロココ料理》を書き加えたのではないだろうか。味はどうであれ、中身はどうであれ、見た目だけ綺麗であれば、それで終りの料理。さらに、シンデレラは王子様に会えるのが普通である。しかし、シンデレラの中身いわゆる王子様はいなく、会うことができずに終わっていた。だから、《幸福は一生、来ないのだ》と思っただろう。ところが、王子様に会えなかった〈私〉は「待つ」の作品でも《ぱつと明るい》何かを待っていた。《明るい》とは何だろうか。勿論、《幸福》であっただろう。幸福に恵まれている〈私〉を《いつか見掛ける〉と締めくくっているのは《幸福》が目の前であるという希望のメッセージ─であろう。《幸福》は単なる《幸福》ではなく、《自然になりたい、素直になりたい》《正しい希望、正しい野心》を望んでいた太宰の文学への姿勢であり、希望であっただろう。
KW -
DO - 10.21481/jbunka..41.200905.81
ER -
kim nakyung. (2009). 太宰治の「女生徒」考 . Journal of Japanese Culture, 41, 81-96.
kim nakyung. 2009, "太宰治の「女生徒」考 ", Journal of Japanese Culture, no.41, pp.81-96. Available from: doi:10.21481/jbunka..41.200905.81
kim nakyung "太宰治の「女生徒」考 " Journal of Japanese Culture 41 pp.81-96 (2009) : 81.
kim nakyung. 太宰治の「女生徒」考 . 2009; 41 : 81-96. Available from: doi:10.21481/jbunka..41.200905.81
kim nakyung. "太宰治の「女生徒」考 " Journal of Japanese Culture no.41(2009) : 81-96.doi: 10.21481/jbunka..41.200905.81
kim nakyung. 太宰治の「女生徒」考 . Journal of Japanese Culture, 41, 81-96. doi: 10.21481/jbunka..41.200905.81
kim nakyung. 太宰治の「女生徒」考 . Journal of Japanese Culture. 2009; 41 81-96. doi: 10.21481/jbunka..41.200905.81
kim nakyung. 太宰治の「女生徒」考 . 2009; 41 : 81-96. Available from: doi:10.21481/jbunka..41.200905.81
kim nakyung. "太宰治の「女生徒」考 " Journal of Japanese Culture no.41(2009) : 81-96.doi: 10.21481/jbunka..41.200905.81