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「一般的傾向」と「当為」を表す日本語「ものだ」について -韓国語「법이다/beobida」との対照を中心に-

oh sujin 1

1한양대학교 박사과정

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ABSTRACT

 本稿は日本語「もの」と韓国語「법/beob」に、それぞれ「だ」と「이다/ida」の結合によってモダリティとして機能する「ものだ」、「법이다/beobida」について考察したものである。両者は「一般的傾向」といった認識モダリティ、「当為」といった義務モダリティとして機能する共通性を持つことから、「一般的傾向」と「当為」用法の発達過程ないしその連続性について考えてみようとした。 まず、日本語「ものだ」は代用語機能と「一般的傾向」用法が重なって、その弁別に混乱を引き起こす場合がよくあるが、代用語機能と「当為」用法がともに表れる場合はごく稀である。これに対して、韓国語「법이다/beobida」は実質名詞「법/beob」の一部の意味が残され、義務を表す「当為」の意味を持ち、「법/beob」の道徳的な意味がなくなると、一般的な原理、普遍的な現象を表す「一般的傾向」へと発達していく。 このように、日本語「ものだ」は「一般的傾向」から「当為」用法へ発達し、韓国語「법이다/beobida」は「当為」用法から「一般的傾向」用法へ発達したと言える。つまり、前者は認識モダリティから義務モダリティへ、後者は義務モダリティから認識モダリティへ発達したということが言えよう。

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