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「のだ」と「것이다」の対応関係 -近代文学作品の翻訳例を中心に-

Choi jinhui 1

1백석문화대학교

Accredited

ABSTRACT

 本研究では近代文学作品における日本語の「のだ」と韓国語の「것이다」の対応関係を分析した。『不如帰』では「のだ」が184例であり、「のだ」に対応する「것이다」は9例(4.8%)しか見られなかった。『金色夜叉』では「のだ」が175例であり、「のだ」に対応する「것이다」は13例(7.4%)見られた。「のだ」に「것이다」が対応する例は非常に少なく、複数の形式が対応している。先行文脈や状況との関連づけが明確であり、事柄の内容を明確に伝えるるために「のだ」が用いられた場合、「것이다」が対応している。しかし、「のだ」は話し手の意図を表すためにも用いられるが、「것이다」は用いられない。「것이다」は話し手と聞き手が共通に認識している事柄の内容を明確にするために用いられる。 近代文学作品において「のだ」は談話のモダリティとして発達したが、「のだ」に比べ、「것이다」は文法化が進んでいない。「것이다」は「것」の意味的制約により、名詞化の機能が強く残っていると思われる。 一方、「のだ」に、「것이다」が対応せず、韓国語の「일」「길」「말」「터」を含んだ表現とムードの「-다、-어、-지、-군、-네」などが対応している。日本語は「のだ」が複数の意味機能を持っているが、韓国語の「것이다」は使用制約が強い。韓国語は形式と意味の一致を重視し、曖昧な表現より明確な意味をもつ名詞を使う傾向がある。そして、話し手の意図を表すためには「것이다」よりムードのほうが用いられると思われる。

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