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경성제대 ‘국문과(일문과)’ 출신 서두수 연구 -『만엽집(万葉集)』번역을 둘러싼 김억과의 비교를 통해-

Park Sanghyun 1 김양숙 2

1경희사이버대학교
2부산대학교

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ABSTRACT

京城帝国大学で「朝鮮人」として当時の「国文学」(=日本文学)を専攻した者は、たった二人しかいなかった。徐斗銖と崔星熙がその人たちだ。崔星熙は卒業後、専攻を変えて法学科に進学してしまうが、彼女と違って徐斗銖は卒業した後、梨花女専で「国文学」(=日本文学)を教える教員となって日本文学に関する評論や論文などを発表しつづけた。その中でも特に注目されるのは、1942年11月2日から12日にかけて毎日新報に連載した「防人歌:稚拙な移植」といった防人歌の朝鮮語訳である。そこには『万葉集』巻20や巻14に納められている防人歌が朝鮮語で訳されている。一方、韓国で詩人として、そして翻訳家として幅広く知られている金憶は『万葉集』からいくつかの作品を取り上げ、朝鮮語で翻訳した。そしてそれらをまとめて、「万葉集鈔訳」というタイトルで1943年7月28日から8月31日にかけて毎日新報に続けて掲載した。また、彼は「鮮訳愛国百人一首」を通じても『万葉集』の作品を植民地朝鮮の人々に紹介した。徐斗銖と金憶が『万葉集』の作品、中でも防人歌を朝鮮語で訳して、植民地朝鮮の人々に移植しようとした理由は明確だった。彼らにおける翻訳意図は朝鮮人の皇国臣民化だった。このように二人における翻訳意図は基本的には同様だったが、その翻訳のスタイルはかなり異なった。徐斗銖は『万葉集』の作品を朝鮮語で翻訳した際、5・7・5・7・7といった短歌のリズムを保ちつつ訳した。一方、金憶は短歌の音数律を兩章時調型で訳した。そして、この違いは彼らにおける学問的背景からきたと考えられる。すなわち、文献学や『万葉集』の注釈書を身につけることによって可能だった徐斗銖の翻訳スタイルは、彼が京城帝国大学で近代的学問としての「国文学」をしっかり学んだからこそできたことであった。

Citation status

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This paper was written with support from the National Research Foundation of Korea.