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ごっこをめぐるエロティシズムの形象化 - 谷崎の「少年」「春琴抄」を読む -

mihyun Gil 1

1우송대학교

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ABSTRACT

本稿では、「少年」」(「スバル」1911・6)と「春琴抄」(「中央公論」1933・6)に現れているごっこを中心に論じてみた。ごっこに対する作品はいろいろあるが、谷崎が子供を素材にしたのは興味深い。「少年」」では子供たちの遊びを素材にしているが、これは何よりも快楽という感性を描写しようとしたからである。信一、仙吉、「私」少年たちは、泥ごっこや狼ごっこや狐ごっこをしていままで感じたこともない、経験したこともない快楽を感じるようになる。信一は学校では弱虫であるが、家では強者になり、仙吉と「私」を虐めるのである。ごっこに信一の姉である光子が参加することによって、「快楽」の世界を呼び起こし、それは変態へと転換される。少年たちは光子を虐めるサディズムの世界が極致に至る。ところが、日本間で始まった遊戯が西洋館の洋間に移ってからは、女性の方が強者になり、少年たちを征服していく快楽の構造が変わっていく。谷崎は 昭和作品の「春琴抄」(「中央公論」1933・6)では大人の世界のごっこを通したエロティックな美の形象化を求めている。佐助と春琴は最初から主従関係であり、それからは師弟関係にもなる。もともと強者であった春琴は「学校ごっこ」を通じてますます驕慢や虐待がひどくなる。佐助は春琴に虐められてもそれを寧ろ嬉しく考えているマゾヒストである。ある日、春琴は熱湯を頭にかけられ顔の火傷を負われるのであるが、佐助は美貌の春琴を「観念の春琴」にしようとする願望で、針でみずから目を突く。そのような行動は主従関係や「学校ごっこ」によるマゾヒズムの発露であり、災いが美に逆転するマゾヒズムの勝利である。したがって、谷崎はごっこを通して、主従関係の確立はもちろん、マゾヒズム・サディズムと快楽の世界、強者の出現を促進している。

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