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Consideration on Ritual of Kabuki -Focused on cases of Rural Kabuki-

  • 日本硏究
  • 2009, (26), pp.371-388
  • Publisher : The Center for Japanese Studies
  • Research Area : Humanities > Japanese Language and Literature
  • Published : February 20, 2009

최인향 1

1중앙대학교

Candidate

ABSTRACT

日本の近世時代には芸能が原始的に守ってきた宗教・祭事的な要素がますます希れになって娯楽的要素が強く作用した。しかし、宗教的要素が退して希れになったといっても、それが近世的な形態と質的に変化して特殊な在り方で芸能と不可分の関係で結合し、様式や芸態の多様な方面に深く定着することになった。このような脈絡の中に本来娯楽的な性格が強い踊りから出発した歌舞伎が宗教と娯楽的な性格が混然一体となった祭りのリ中に流入したことは自然な現象であったかも知らない。 また、近世芸能の特質の中の一つは京都や江戸で花を繁栄した都市文化が洗練された都会文化として画一化された形態で現れたことでなく、むしろ都市文化に地方の集団的な文化が持つ土俗的あるいは生活感を新鮮に思って受け入れる風潮が存在し、江戸時代の都市文化は地方の創造的文化と交流しながら生成された。 亡くなった人の魂を慰める宗教舞踊である念仏踊りから始まった歌舞伎はその発展過程で世俗的人気に応じるために、猥褻的あるいは扇情的場面が挿入された遊戯になるが、幕府の絶えない弾圧に対応し、興行を維持するための方策で祭儀的な要素を積極的に導入するに至る。そうして中世芸能の三番叟のような予祝性を持ったレパートリー、御霊信仰と関連した曽我兄弟の話、鎮魂性を発現したレパートリーなどを受け入れ、都市と地方間の文化交流の過程で祭礼儀式の性格とよく合った歌舞伎レパートリーは祭礼芸能として定着して今日に至る。 上演種目以外の要素でも、祭儀的な要素は歌舞伎の上演舞台になる曳山から探ってみることができる。本来神が仮にとまる場所として意味を持っていたことが、18世紀の中頃、都市の劇場文化が地方に流入して祭礼芸能に合う舞台として改造されで、神に歌舞伎を奉納する神聖な場所として生まれ変わった。これと共に農村歌舞伎の祭儀的な要素は伝統の継承と新しい文化に対する合理的な受容によって具体化され、祭礼芸能の役割を究明し、様式化の基調になったと言える。

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